地震から一ヶ月


地震から1ヶ月経った。
被災地の方は今だ不便な避難生活をしているので失礼だとも思うけど、もう1ヶ月か、という感覚が強い。


地震後数日は放心状態というか、信じられない状況が上手く飲み込めず、テレビに釘付けで何も手に付かないという感じだった。

それが今では殆ど普段と変わらない生活を送り、一方でまだまだ避難生活を送っている人がいるというのが実感が湧かない。

なんだろうねこの感覚。不思議である。



とりあえず地震当日の様子を書く。


そのときは学校にいて、課外講義を受けていた。
そしてグラグラと揺れ始め、最初は皆「まあすぐに収まるだろう」と講義を続けたが、やけに地震が長い。そして窓が「ガタガタ」と今まで聞いたこともない音を上げ揺れも大きくなっていった。


一緒に講義を受けていた先生や他の生徒3人も段々「これはオカシイ」と気付き「外に避難しよう」と走った。



校舎の外に出ると、同じように生徒や学校の職員も出てきた。


ゴゴゴゴとかドンドンドンという音が響き、校舎中の窓はガシャガシャと音を立てた
。窓の向こうには走る生徒の姿が見えた。
皆不安そうに辺りを見渡していて、不安で抱き合う女子生徒もいた。


聞いたこともないチャイムが鳴り、「机の下に隠れろ」という校内放送のアナウンス。
もうみんな逃げているっての。



その異様な光景に「関東大震災がきたか」と思った。


5分くらい?の長い揺れが収まった。


ちなみに自分は外に出てすぐにiPhoneのビデオを起動し撮影していた。ブログのネタ探しをしているせいか、「何か凄いことが起きている。記録に残そう」と思ったのである。多分。講義をしていた先生に「チョロチョロするな!」と怒られた。



そして次に現状を確認しようとiPhoneでネットの地震情報を探そうとしたが、うまく繋がらない。
偶々見たtwitterで「宮城で震度7」というのを見て驚いた。周りの人にも伝えた。
学校のあった場所は震度5弱だった。



とりあえず避難した校舎前の広場で、知っている顔を何人か確認。
たまたま用のあった教授にも会い、ベンチで打ち合わせをしようとしたら「窓の近くは危ないから逃げて!」と怒られた。すみません。



そしてどんどんとその広場に人が集まり、数百人くらいになった。
近所の避難所になっているらしく、保育士に連れられて近所の幼稚園児なんかも集まってきた。防災頭巾を被っており「あんなのもあるんだな」と思った。


揺れが収まり、雨も降っていたので一端校舎(1番新しい耐震工事もしてある
)に入るよう指示が出た。

そしてまた大きい余震がきて、みんなゾロゾロと外に出てきた。自分はずっと外にいてそれを見ていたので、少し面白いと思ってしまった。




少し落ち着いたら町の様子が気になり、学校の外に出てみた。特に町自体にはダメージが無さそうだったが、電車が止まり駅前は混雑していた。


商店街の電器屋の前に人だかりが出来ており、何だろうを思ったら店頭にテレビが置いてあったのだ。
そしてそこで地震が2回あったことを知り(さっきの余震だと思ってたのは別の地震だったのだ)、しかもそれが茨城県沖だと知って酷く慌てた。


自分の地元は茨城であり、家族の安否が気になって電話をするがまったく通じない。
あの時はかなりイライラし、不安にもなった。

そしてそのとき初めて「自分達は被災したんだ」と実感した。それまでは何だか凄いことが起こったくらいしか思って無かったが、家族の安否がつかめず初めてそう感じたのである。



そして自宅に戻った。棚からモノが飛び出し、本も散乱していた。とりあえず情報を得ようとTVをつけたら、津波がどうこう言って映像が流れている。
畑みたいなところに、水がどんどんと押し寄せている映像だった。その時は特に酷いことが起きているんだとは思わなかった。

茨城の情報はまったく出ず、家の固定電話も通じず、皆の様子も気になったのでまた学校に戻った。


校内のホールや教室には生徒や避難してきた人で溢れていた。
そして安否確認シートなるものを書かされた。名前と学部を書いたくらいだけど、こんなものがあったことが驚きである。ちなみに帰るときにも「何時に帰宅」と書かされた。


後は知り合いの集団を見つけ、適当に駄弁っていた。校内放送も流れたが、特に欲しい情報がなかったと思う。
ホールに備え付けのTVでは地震の様子が流され、多くの人が見ていた。何か燃えている映像をチラッと見た。



そしてその日1日の都内の電車の運休が分かり始め、みんな学校に泊まることが決まった。
乾パンと水、毛布が配られた。こんなものが備蓄してあったことに驚きである。そして非常事態なんだなと再認識した。



自分は家が近いので帰宅した。
相変わらず電話もメールも通じず、結局家族の安否が確認できたのが夜8時過ぎであった。
家の瓦などは落ちたが皆無事であることが分かり、やっと安心できた。


そして部屋を片付け、テレビを見ていたような気がする。その辺はよく覚えていない。
数日はテレビを見続け、一種の興奮状態で、また気も滅入った。




その後はご存知の通り、停電やスーパー・ガソリンスタンドの行列やら。そして気付いたら今になっていた。
凄い1ヶ月だったなぁと振り返ってみたら思う。



今回の地震で1番参ったのは、家族の安否が確認できなかったことである。電話もメールも非常時には殆ど役に立たないことが分かった。

逆にtwitterskypeなどのネットが情報を得るのに使えることが分かった。
twitterによって真っ先に地震の情報を得られたし、skypeで地元の知り合いとも連絡が取れた。


なんだかんだで1番思い知らされたのは、生活なんて簡単に変わっちゃうんだということである。小説やマンガなどでは度々見てきたことだけど、まさか本当にそうだとは、体験してみないと分からない。そしてそれがイマイチ実感が湧かないというのも。




まだまだ余震は続いているし、避難民の方々や原発など地震の傷はまったく癒えていない。
今できることをやっていこうと思うと当時に、被災地の復興を祈っております。