振り返って

〜浪人生活の思い出〜   sunson


1年前の三月
全ての受験に失敗し大学をやめ浪人生活に本腰を入れようとしたね。
でも日々麻雀に明け暮れていたね。
そして24耐コミケSP。夜11時から次の日の夜9時の撤収まで完走して疲れたね。でも楽しかった。そこで手に入れた同人誌は部屋に飾り浪人生活の励みとなったね。





授業のシステム、駅からの利便性、某エンターテイメントショップが同じビルにあるという理由で四谷学院にしたね。そのショップは帰り道にして癒してもらったな。


そして始まった予備校。ひとり暮らし+なじみの無かった予備校で不安でいっぱいだった。
でも
担任が美人の春日先生(仮)で「勝った!」って何故か喜んで不安も吹っ飛んだね。

話し相手を作ろうと話した相手がKO大、T京大志望と物凄い戦力差で恐怖したね。この2人、特にKOを目指したI君にはお世話になりました。

下旬のレヴォファイナル。授業そっちのけで池袋に行ったな。




初夏
ゴールデンウィークの皐月特訓。4日間朝9時から夜8時まで英語漬けで狂いそうになったね。8時に終わって帰宅して飯作って風呂入って復習する時間なんてあるかいな!!ハッキリ言って意味なかった!もう2度と騙されないぞって思ったね。例大祭に行けなかった怨みじゃないよ。


初めて55段階授業を受けたね。古典文法を2級分。そしてそれが最初で最後の55段階になったね。サンクリ、良かった。



勝負の夏
夏期講習。授業料の高さに恐怖したね。そしてお盆にはワザと授業を入れずコミケに行ったね。
予備校の人には「お台場に買い物」って言ってあったっけ。

合宿はゴールデンウィークでの教訓とメンドイという理由で行かなかったな。





そろそろヤバイなって危機感を持ち始めたね。現代文が最上のクラスに上がれて喜んだっけ。その教室でメイドさんを熱く語っている人達がいて愕然としたのを今でも覚えているよ。
このころかな。東方の同人誌が栄養素となっていったのは。

そして段々寒くなるにつれ「落ちるんじゃないか」ってのと、55をやってないから担任春日先生に刺されるんじゃないかって恐怖していたね。そして開き直ったね。




冬、最後の追い込みの時期
やっぱり英語が全然できずに苦労したね。
お正月特訓も合宿と同じ理由に加え冬コミがあったので行かなかったね。もはや病気だね。


浪人で向かえてしまった成人式。こんな形で迎えようとは考えたことも無かった。ちょっと悔しかったな。
ちょうどその時大事な授業があって茨城から東京に通う様な形になって大変だった。




そしてセンター試験
2日前には友人宅に遊びに行き、前日には自衛隊基地と秋葉原に願掛けをしてきたっけ。
センター本番、雪が降った。休み時間には外に出て雪玉作って遊んだな。むしろ諦めムード全快で緊張なんてしなかった。

でも申し込んだ大学は全て受かってしまったのだから分からないものだ。



2月、本格的に試験が始まった。
ほとんどはセンターで受かったので実質2校だけだった。休み時間にベンチで寝っ転がったり知り合いにメールして気を紛らわせたな。


早稲田受験。締め切り直前まで受けるつもりは微塵も無かったけど調子にのって申し込んだね。
正にぶっつけ本番の試験。受けに行くのが嫌で一睡も出来ずにいったね。でも楽しかった。さすがは早稲田。行ってよかった。もちろん落ちたけど。



振り返ればもっと勉強しとけばよかったって思う。でも2年間怨み続けた目標校に受かったのでなんとか勝ち越しかな。
大学の友人達と予備校のI君のおかげでさびしくは無かった。がっつり感謝
予備校の先生方にも。



総評すると

遊んでばっかだな

明らかに大学時代より遊んだ。55段階最少記録でなかろうか。




さらに気になるのは

予備校が受験結果をまったく聞いて


こないこと


受験終わってすぐ引っ越しちゃったから行く機会を逃した・・・・・。
せめて春日先生には挨拶したかった。








・・・・・・・・・もしや見捨てられた?

サボりすぎたか

え〜そんなぁ(T▽T;)



これからの浪人生はsunsonの様にはならないよう。せめて予備校から見捨てられないよう。

他の人どうなったのかな。あとで一回忍び込んでくるか。